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学術支援リテラは、主に大学研究室等からの委託調査に従事していた研究者が中心となっています。



人文学、社会科学などの分野において、学生の教育にかかわり、教員の調査データをもとに論文草稿をまとめるなどの業務にも携わっていました。数年来、論文執筆のポイントや依頼主さまの悩みを目の当たりにしてきたため、適切な指導や添削を行うことが可能です。




[参考資料① 大学レポート編]
・大学レポートサンプル「石川淳短編小説選」(2,000文字程度)
・大学レポートサンプル「鶴見俊輔の思想について」(1,500文字程度)
・大学レポートサンプル「ギリシャ哲学、プラトンの著作について」(2,000文字程度)

[参考資料② 卒業論文編]
・卒業論文のフォーマット(2018年9月22日「卒論対策講座」資料PDF)
・卒業論文のフォーマット(2018年9月23日改訂版、配布用PDF) ※Word版

[参考資料③ 社会福祉資格編]
・介護職員初任者研修ポイント解説
・ベッド→車イスの移乗(全介助/一部介助編)










リテラ教育宣言 第1条 
学術支援リテラの掲げる「教育的指導」とは何か?




 今日、とりわけ2000年代以降の教育改革によって、学校現場は急激に変化しています。小・中・高校のカリキュラムの変化だけではなく、高等教育機関としての機能を担う大学もまた、時代のなかで変わっているのです。しかし、それは改善だけではありません。文部科学省の大学改革は、牧歌的な「学問の自由」を謳っていた大学を競争原理のもとに変貌させてしまいました。教員は多忙を極め、事務処理や会議に追われて、本来の研究・教育に時間を割くことができない!という悲鳴さえ聞こえてくるのが実情です。


 このような状況の下、新しいニーズ(社会的課題)に対応すべくして生まれたのが、学術支援リテラです。我々は、「教育的指導」の理念を高く掲げ、大学の忙しい教員の皆さんと、学びたい学生の双方の負担を軽減し、それによって、各学校等の研究・教育機関において実施されている学習効果を実質化し、さらに高めることを目指しています。


 なお、ここで強調しておきたいことがあります。学術支援リテラが「レポート代行」「卒論代行」を謳う場合の「代行」とは、原則として、「資料調査の補助、添削、誤字脱字のチェック、等」が前提とされています。最終的には本人が書き上げ、自ら納得した上で提出する、というプロセスこそが王道です。だからこそ、「代行」であって、「代筆」ではありません。リテラのホームページでは、原則的に「代行」という表記を用いているのは、そのためですただし、「情報が届いてほしい層に情報が届かない」という状況を避けるため、検索キーワードには「代筆」を含む文字列をいくつか加えています


 そもそも、教育的効果が発揮される理想的な状況は、「学生本人が授業・講義、あるいは演習(ゼミ)で学んだ内容を理解し、吟味した上で、自分自身でレポートや論文をまとめること」です。それはまちがいのないことです。しかしながら、実際には、「学生自身では理解し尽くせないこと、わからないこと」は残ってしまいます。それもそのはずで、本来、大学教育で目指されている学問というものは、高校までの正解がある「勉強」とは異なるからです。……にもかかわらず、「学問」と「勉強」の根本的な違いは、高校までの教育課程では教わることがありません。学生たちは、その違いを充分に教えてもらえないまま、受験勉強を終え、大学に入学してきます。そして、高校までの「勉強」とは異なる講義内容に戸惑う、といった事態がしばしば生じます。


 こうした問題について、高校と大学の内側で採りうる解決策もあります。その一つは、高校と大学をつなぐための初年次教育のなかで対応することです。ただし、これは、高校・大学の双方に負担を強いることになります。というのも、各教員が担当している授業準備だけではなく、高校までの復習をも含む内容について、大学の教員が教えなくてはならない、といった状況が発生するからです。それぞれ専門分野のスペシャリストであるはずの大学の研究者に対して、大学生活の基礎的な事項を教えるという負担を強いることになってしまいます。


 さまざまな見解があり得ると思いますが、我々は、大学の内側だけで状況を変えることは難しいのではないかと思います。というよりも、そもそも大学の内側だけで解決に当たる必要はないのではないでしょうか。現在の大学改革は、産学官連携、地域コミュニティとの協同、といったキーワードのもと、外部との連携、協同を推進することが前提となっています。そうであれば、「本来あるべき教育的指導の機能分担について、必要とされるリソースを外注する」という選択肢は当然出てきます。


 以上の状況把握のもと、大学の内側だけではなく、外側から、「教育的指導」をサポートすることはできないか? これが、学術支援リテラの創業に至った問題意識の一つです。


 そもそも、かつての大学では、「教授、先輩後輩の学生たちが研究室(ゼミ)単位で協力しあい、切磋琢磨しながら共同研究する姿」がみられました。自然科学系(いわゆる理系分野)の場合は、共同で実験する関係上、そのような研究形態は残っているかもしれません。しかしながら、とくに人文学、社会科学など(文系分野)の場合、個人で学ぶ場面が殖えているようにも思います。その理由としては、先にも述べたような学術研究における競争原理の導入があるのかもしれません。アカデミックポストの獲得競争が激しくなり、学生たち(とくに大学院生)同士もライバル関係となりました。そのために、研究室のなかでも協力しあう関係性が薄れ、しのぎを削りあうような状況になってしまいました。なお、これは先進的な学術研究を推進している研究室ほど、そうかもしれません。大学院生の先輩がそのような状況では、おのずと学部生たちの雰囲気も変わってしまいます。


 また、これは現在だけに限ったことではありませんが、「大学内での対人的な関係性を構築することが苦手な学生たち」もいます。そのような学生たちは、協力する仲間を持つことができず、大学の中で孤立し、しばしば相談相手もいないままに成績が悪化してしまう、場合によっては中退してしまう、といった事態もあり得ます。心の傷む話を聞いたことがあります。「最近の学生たちの様子をみていると、いわゆるコミュニケーション能力の高い学生たちほど、互いに情報交換しあい、上手に単位を取得していく。一方で、真面目な学生ほど対人関係が苦手で、単位を落としてしまう。」……というのです。教育現場の皆さん一人ひとりに考えていただきたい話です。


 学術支援リテラは、学校で困難を抱えている一人ひとりの学生、生徒の側に立ちたいと考えています。これは、一人ひとりの個性、人権を守るための決意です。我々は、世界人権宣言の原則に立ち、すべての人々の学ぶ意欲を尊重し、サポートします。また、心身に障害のある方、LGBT+の学生の困難にも向き合い、その改善のために必要な学習支援を提供します。


 これまで、「レポート・卒論代行」というと、学生が一方的に責められがちでした。しかし実例として、学術支援リテラの主任研究員は、大学教員の論文サポート・研究費申請書作成に対応した経験があります。教育現場の変化によって「困難」を抱えているのは、学生だけではないのではないでしょうか。学生=弱い立場に責任を押しつけるのではなく、研究・教育環境の激変という環境要因を厳粛に受け止め、その状況把握のもとで、「よい」教育を模索して動くべきではないでしょうか


 以上が、リテラの掲げる「教育的指導」とは何か、に関する宣言であり、問題提起です。

(2017年9月9日)

学術支援リテラ日記