無教会キリスト教



無教会とは

倉井香矛哉(独立系研究者)

 
一.はじめに
 本稿では、無教会キリスト教と呼ばれる日本独特(※諸説あり)の信仰形態について、その概略を記述する。明治、大正、昭和初期までを生きた伝道者、内村鑑三の精神に連なるという事実が、無教会、無教会主義、無教会派と呼ばれる信仰形態の一つの原点であろう。そのため、『内村鑑三全集』など、内村自身の文章に接することが、無教会を知る上では第一歩と言えるかもしれない。ただし、無教会はかならずしも内村という個人に回収されるべきものではない、という見解もあり得る。その点において、第二世代以降の信仰の継承、或いは断絶について知ることも重要であろう。以下、主要な先行研究をまとめ、無教会とは何かという本題について、さらには今後の進行継承の課題について、第五世代の先端に位置するかもしれない筆者の立場から簡潔に述べておくことにしたい。
 
 
二.先行研究
 先行研究として、カルロ・カルダローラ『内村鑑三と無教会』、新教出版社から刊行された『無教会史』などは必読文献である。大学の卒業論文、或いは修士論文や学術的な文章を書こうとしている人は、まず、それらの文献を読むところから始めてほしい。その他にも、各地に存在する無教会系の集会が各自の刊行物を作成している。無教会は、一九〇五年以後、その展開の初期において、教友会と称する地方伝道の基盤を形成した。北越を嚆矢として、信州、千葉の九十九里、岩手の花巻といった各地に教友会の組織が編成された。それらは名前を変えて、現在でも信仰共同体として遺っている。自分が住んでいる地域の近くの無教会の集会を訪ねれば、資料が見つかるだろう。また、先に述べた内村以外にも、矢内原忠雄や南原繁、石原兵永など、第二世代以降の無教会人もまた、それぞれの著作を遺している。本格的に無教会エクレシアの展開を知る上で、それらの文献を収集することも必要になってくるはずである。第二世代以降の著作は、信仰者の著作であると同時に、無教会研究においては内村鑑三に対する真摯な批評として理解することもできよう。
 また、一九八〇年代からは、各集会の協働を図るため、いくつかの取り組みが始まった。無教会全国集会は、それまで集会ごとの独立性が強かった無教会の連帯を図る場として機能したと言える。無教会研修所もまた、聖書学習講座の開設と、『無教会研究』(創刊時のタイトルは『無教会』)をはじめ、集会ごとの独善性が見られた無教会の中で協働を図るための取り組みとして始められた。他にも、『内村鑑三研究』の刊行、内村鑑三研究セミナーと内村鑑三研究会の開催といった取り組みにも、主に学術的なアプローチから内村鑑三と無教会について接近する導線が組まれている。(なお、独自の展開を見せている集団として、原始福音キリストの幕屋が存在する。サンケイビルで毎週開かれる聖会には、年一度の無教会全国集会以上の人数が集まっていた。また、幕屋が刊行する『生命之光』も有名である。伝道共同体として一目おくべきではあるが、本稿では取り上げない。)
 なお、インターネット上の情報源としては、すでにWikipediaの「無教会主義」「内村鑑三」その他、関連するキーワードごとに作成された記事を読むことができる。情報の公平性・客観性を保つため、それらを併せて参照されたい。……と云っても、それらの記事にも、適宜、倉井が手を加えているのだが。

(つづく)